■KAYのニューヨーク&プエルトリコ出張所報告
  海外モバイラーになる
  
アメリカ編

   何をもっていくか?どうすれば繋がる?
   1998〜1999年

北京&上海編は こちら      

 

課題

 

海外でメールを読む、情報を入手する、ホームページを発信する

1.外でメールlの送受信が可能か。とくに添付ファイルに画像を取り込み、時差のある日本へ、旅行者の行動・ 安否を知らせること(電話以外で)が可能?

2海外で、ホームページを作る(FTP転送)が可能?.

3.音声・動画をホームページにアップできる?

4.サクサクと情報を入手できるか?

5.モバイルPCは、いつでも、どこでも使えるのか?        
         
6.観光と取材そしてライブ版HPを制作をするのに、体力が持つ?(これは本来の実験レポートではないが) 

持参した器材
NY 1998-3 Puerto Rico 1999-7
モバイルPC   Let's Note (AL-N2) (3kg)

デジタルカメラ   Kodack(DC120 Zoom)

モデム        TDK(DFL3410 LAN/Modemコンボカード)

ソフト:  ftp soft ・・・WSftple   
html soft ・・・ front page98 

モバイルPC Sony-PCG-N50(1.4kg)

デジタルカメラ   
Sony mpegムービーMVC-FD88

デジタルビデオ SonyNP-F950 

ソフト:  ftp soft ・・・WSftple   
html soft ・・・ front page98 

事前のお勉強

.自分の所属するプロバイダが海外でも利用できるかを確認する。

これは確認していた。iij4uはNYにアクセスポイントがある。海外に強いのでこのプロバイダを選んでいた。料金のことは気になるが、
アメリカは電話料金が安いと聞いていたので、細かいことは気にしないことにした。旅さきでは、気が大きくなるもんだ。
ロ−ミングサ−ビスの説明はややこしいのでパスした。

モジュラージャックや電源プラグの現地情報を集める。

知人がロスに1月に出かけて<アメリカはそのままつかえる>と教えてくれていた。電源(電圧と電源プラグ)もモジュラーも世界共通規格でないので、国によって様々な変換アダプタを使う必要があると書いていた。

アメリカは日本の電源プラグがそのまま使え、モジュラージャックの形も日本と同じである。

電圧はパソコンのAC電源の裏側を見ると<AC100-240>のユニバーサル仕様になっているので世界中ほとんどの国の電圧に対応している。電源に関しては、旅行する国用の電源プラグ変換アダプタを用意すればよい。モジュラーは複雑なようだった。

出かける国に合わせて周辺機器を持参する。

モデム&モデムセーバー:

メーカの立場としては、万一のことがあるといけないので保証はできないと応えが還ってくる。内蔵モデムがトライして壊れてしまったら修理とかでかえって面倒だからね。でも実際はモデムは使えるのです。またモデムセーバーも不用のようです。

万全を期するために、モデムセーバー、モジュラー変換アダプタ、電源プラグ変換アダプタなど荷物の重量と相談して決める。
アジアに出かけた失敗談が記載されていた。

  経過報告
深夜のホテル:ワクワクしながらベッドの上で

まずは、ネットが繋がらなきゃあね

NY編:プロバイダのアクセスポイントがNYにもあり、すんなり繋がったといいたいが、基本的な準備不足で、スタートはトラブッてしまった。

モデムの設定から始まった。
(必要な説明書は全部持参した)Let's Noteのwindowsのバージョンbが、TDKのモデムと相性が悪く、モデムそのものが機能しなかった。こんな準備不足のズボラな人は後にも先にもいないでしょう。あーあ使えないとなんのために重たい荷物を持ってきたのだ。

ひらめいた。そうだ相性のよいモデムをcompに買いに出かけよう。独りでパソコン専門店に出かけて、こんなややこしい買い物ができるだろうかの不安もよぎっていた。3時間ぐらいベッドの上で格闘していただろうか。

ある瞬間、急に動きだした。ネットが繋がったのだった。
 com1をデリートし、com3に設定したら動いた。理由はワカラナ−イ。まったくのド素人が説明書を自分流に解釈して動かしている。繋がったことが不思議の世界である。

注意点:

モデムのプロパティで ダイヤルプロパティ 外信発信番号 例えば「9」なら「9、、」と入れる。コロンを2−3


モデムのプロパティで接続タブのトーンを待ってから「ダイヤルする」のチェックをはずす。

これでネット環境ができたわけ。
仕事で作ったホームページ(日本の
あたりまえ)を見る。
電話料金が気になって10分でやめる。

そうだメールを出そう。
アドレスを知っているみんなに出血大サービスをする。

Puerto Rico編:問題なく(あっけなく)すぐに繋がってしまった。テレクラス高木さんや、スクールズオンライン・ジャパン事務局 杉野由布子さんが部屋にきて、vaioは深夜大活躍でした。


メールを読む、ホームページを作る、情報を入手

NY編:ホテルの部屋から、神戸と東京に交信。取材から帰ってきて、メールをみるのが、もう楽しみ。
メールが神戸から届いている。うれしーい!!
こんな便利で楽しいものを誰が考えたのか
インターネットさま、あなたは偉い!私はしあわせ!!

ハイライトはNYの桜情報を発信できたことだった。
海外モバイルの初仕事 <セントラルパークの桜をどうぞ>は、あなたに届きましたか?
桜は満開、可愛いリスに会えてもう最高、ルンルン気分。

しかし一つ失敗したことがある。デジカメで撮ったファイルをHP用に、解像度を落としたために、帰ってから印刷したときに、ボケてしまったことだ。ファイルを上書きせずに、fdに分けて保存しておくとよかった。またトラブルに備えて、写真をパソコンを使わずにデジカメ(FDを含む)に記録できるといいと思った。

Puerto Rico編:デジカメSonyNP-F950は、画像をFDにおとせるので旅先ではとても便利であった。動画・音声もカチャンと瞬時にホームページにアップできた。ただし旅先での負担を考えて、事前にページを書き込みやすいように作成して出かけた。
カリブ海の波の打ち寄せる音や、さよならパーティのラテンミュージックが、辺鄙なカリブの島からONできるなんて、夢みたい。


国際会議は、それぞれの国のテクノロジーのスペシャリストが国の事情を背負って多数参加していた。名刺交換をしたのならホテルの部屋に帰ってから質問や感想をメール交換したかった。しかし残念ながらモバイルを持ち込んでいる参加者は数少ない。われ先にと大学のコンピュータルームがメールをチェックする人の列。

軽量のモバイルに動画や音声をホームページにアップしているのは、この私のみ。会議の席でサンフランシスコのエンジニアが近づいてきた。私の作った素人のホームページを見て顔がひきつった。
わたしはつかさず答えた。
<私は、vaioの国からきた普通の生活者である>


日本語はマイナー

インターネットカフェやコンピュータセンターに出かけて、日本のホ−ムページをみたら、日本語はみんな□□□□□□□□□で、パズルをやっているみたいだった。こりゃあかんわ。

われらの首相は自らを「世界一の借金王」と名乗っている。
一体全体国民はどうすればいいの?日本の21世紀はどうなるんだろう。神戸の若者は、不景気風の最中、生きがいを求めて、世界の旅に出かけている。親の生き様をみて、同じ運命をたどりたくないからだろう、何かを探しているにちがいない。こうなったらテクノロジーで力をつけて、わが日本は世界にさまざまな人材を送りだす「人材派遣国家」としての選択がいいように思う。
立ちはだかるのは英語の壁である。役にたたないお勉強はやめて、英語をヤレ!!偏差値なんておさらばだワイ。


モバイルPCは、いつでも、どこでも使える

・ホテルの部屋のモジュラーの差込は、日本とまったく同じで全部使用可能。簡単そのもの。公衆電話からもメールlを送受信できた。

・機内でもPCをつかった。サンフランシスコ往きの機内(ジャンボ機)で5人位がモバイルをつかっていた。圧倒的にvaioが目立つ。
上昇・降下のとき以外は、PCは使える。ただし、バッテリーが気になる。

・モデムセーバー(電話回線の状態を検査し、モデムと接続が可能かどうかを判定する)は必要なかった。TDKのは不要だ。Let'sNoteもAC電圧が100-240Vだから。なにも準備しなくてよかった。 


好奇心が夢をかなえる

夢がかなって、疲れもすっとんだ、海外モバイル体験でした。
アメリカだからすんなり繋がったのだろう。

いろいろスクリプトを打ち込まないといけない場合もあるらしく,このような場合は,たぶん私はお手上げです。

本当に便利な時代ですね。

次回は・・アジアを旅しよう・・