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My 1・17



  1995117日午前546分、未明。地下から、巨大な揺れが襲った。淡路島北端から阪神間の一帯は、数十秒の激しい揺れで、その風景が一変してしまった。電気、ガス、水道は停止し、道路は閉鎖され、非日常生活がそこには待っていた。高速道路は寸断し、鉄筋のマンションや家屋が倒壊し、あちこちから火の手が回り、助けを求める人の声が重なって聞こえてきた。わが街の崩れいく様を呆然とただ眺めていた。激震直後、被災地のまっただ中では、震災情報をえる手段すらなく、何をすればいいのか、何が必要なのか、自分で考え行動するより打つ手はなかった。  

  阪神 ・淡路大震災では、家屋の位置が、ほんの数メートルの差で生と死が待っていた。香枦園に住む先輩は、この数メートルの差で無念にもこの世を去った。命が助かったものは、何をすべきなのか。自分がもし動けなくなったとき、亡くなったとき、地域、職場、親戚の力を借りなくてはならない。人と人の絆が私を救ってくれる。自分ができることはたかがしれているが、やれることは惜しみなくやってみる。そう思うと気持ちが救われてくるような気がした。ここから、ヒューマンネットワークの大切さを身をもって体験することとなった。

 

                                                                                 2003年9月1日

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